NHK大河ドラマの「青天を衝け」では渋沢栄一の周りにたくさんの人物が登場しますが、川村恵十郎(かわむらえじゅうろう)もその一人です。
平岡円四郎の部下として剣の腕前を高く評価されている凄腕の武士ですが、元々は小仏関所(甲州街道)の関守を担っていました。関所を守る職務で脱藩するものを取り締まる役目だったようですが、なぜ渋沢栄一と出会うことになったのでしょうか?
今回は川村恵十郎と渋沢栄一の出会いは?明治時代ではどんな役職に就いたのか?について調べてみました。
川村恵十郎と渋沢栄一の出会いは?
#青天を衝け
平岡円四郎の非業の最期は慶喜も辛いし、報せを聞いた栄一たちも辛いだろう。
次回予告の時点で川村恵十郎の無念さが特に際立っていると感じる、
刺客をどんなに討ち取っても肝心の人を守れなければ意味がないじゃないか…という無念が聞こえてくる…。 pic.twitter.com/z36YDXyLw5— 天地百八❖ (@TenkouTisatu108) May 23, 2021
ドラマでは川村恵十郎は平岡円四郎の部下として仕えていますが、元々は関所を守っている人でした。出世して文久3年に一橋家家臣となっているのですが、剣術の腕前だけではなく頭も切れたと言えるでしょう。
当時は渋沢栄一や喜作が攘夷思考であったことは知られていますが、横浜の焼き討ち計画をしたり、かなり過激な思想であったことはドラマの通りです。
二人にはこのような過激な思想はあったものの、未遂に終わり大きな問題にはなりませんでした。平岡円四郎は頼ってきた二人を部下として、川村恵十郎の下に就けたといいます。
どうも江戸に恵十郎がいた時期に栄一たちと出会い、その後、円四郎に紹介したとされており、渋沢栄一と恵四郎の出会いが渋沢栄一の運命を変えたともいわれています。
そして二人の思想を尊重したのは円四郎だけではなく、恵十郎も同様だったそうです。
攘夷思想が世の中の勢力になる中、慶喜はなかなかはっきりと指針を示しませんでした。その事をよく思わない水戸藩では慶喜がはっきりしないのは部下の円四郎たちの仕業だという声が高まりました。そして平岡円四郎殺害計画が持ち上がり、1864年6月には水戸藩士である林忠五郎・江幡広光が襲撃しました。
結果的には円四郎は殺害され、同行していた川村恵十郎も傷を負いながらも林忠五郎・江幡広光を討ち取ったとされています。
川村恵十郎は明治時代ではどんな役職に就いたのか?
明治時代に入ってからの恵十郎は1873年に大蔵省で官僚となっています。
この年には台湾出兵の後処理のため大久保利通と清へ同行しており、旧幕府でも新政府でも活躍する重要な立場で仕事しました。
それ以降も太政官、宮内省、内閣に仕えて1893年に退官するまで政府を支えたとされています。
その後も1898年まで日光東照宮の禰宜(ねぎ)と呼ばれる宮司を支える仕事を担っていました。
武士から官僚まで担うとは激動な人生であったといえます。
まとめ
今回は川村恵十郎と渋沢栄一の出会いは?明治時代ではどんな役職に就いたのか?について調べてみました。
川村恵十郎は江戸で栄一たちと出会っています。その後、円四郎に紹介したことで一橋家に仕えることになったのです。恵十郎との出会いがなければ栄一の運命は変わっていたのかもしれません。
恵十郎は明治時代では大蔵省の官僚として活躍していますが、武士では旧幕府に仕え、新政府では官僚として仕えるなど器用な人物だったことがわかりますね。