斎藤佑樹が「引退しろ」と言われながらしなった理由は?ついに引退か!

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2006年の夏の甲子園で優勝した「ハンカチ王子」と斎藤佑樹ですが、日本ハムでは怪我もありましたが結果が出せずについに引退する模様です。

当時の勇姿を見た人はプロに行っても活躍すると思っていたでしょうが、1軍で活躍できず最近では2軍でも打たれてばかりでした。

そんな斎藤佑樹ですが昨年には元モデルの奥様と結婚されており、今後、益々の活躍を期待されていたはず。

世間ではあまりに不甲斐ない成績だったので「引退しろ」なんてヤジも飛び交っていましたが、引退せずに10年頑張ってきました。

しかしながら週刊文春ではついに引退することが報じられ野球生活に終止符を打つ模様です。

斎藤佑樹が「引退しろ」と言われながらしなった理由はなんだったのでしょうか?

斎藤佑樹の甲子園でも活躍はすごかった!大学時代も大活躍でした。

高校時代は野球で名門の早稲田実業高校にいたことは誰もが記憶しているかもしれませんが、1年からベンチ入りはしていました。

2年生の時は西東京大会では日大三高に準決勝で3本塁打を打たれてコールド負け。

その後、秋の都大会では準決勝で再び日大三高と対戦して完封勝利しましたが、この大会ではチームを24年ぶりに優勝に導きました。

同年の明治神宮大会では駒大苫小牧と対戦して現メジャーリーガーの田中将大と投げ合うものの敗れてベスト4でした。

しかしながら翌年の2006年には夏の甲子園で再度、決勝で駒大苫小牧と対戦して延長15回で勝負がつかず引き分け再試合となりました。翌日の再試合では4連投にも関わらず先発投手として最後まで投げ切り、最後は田中将大を三振にとり13奪三振の大活躍でした。この大会では投球回数69イニング、投球数が948球となり史上最多記録になっています。

ハンカチ王子なんてニックネームは高校時代からついていましたね。

今の甲子園大会では休養日が設けられるなど選手の体調面への配慮がなされていますが、当時はまだまだ高校野球は過酷なスポーツだったのです。

特に投手にとっては過酷な環境にあったのは間違いありません。

その後プロへの誘いもありましたが、大学へ進学して野球を続けていますが、1年生からリーグ戦で優勝投手になりベストナインにも選出されています。

2007年の秋季リーグでは防御率0.78で最優秀防御率賞を獲得、2季連続でベストナインにも選ばれました。

2010年にはキャプテンとして大学最後のリーグ戦に挑み、優勝していますが東京六大学野球史上6人目の通算30勝、300奪三振を記録しています。

この年にはドラフト会議で東京ヤクルトスワローズ、北海道日本ハムファイターズ、千葉ロッテマリーンズ、福岡ソフトバンクホークスの4球団が1位指名しましたが日本ハムにいくことになります。

斎藤佑樹のプロ野球時代の成績は?故障に泣かされたプロ時代!

2011年には4月17日に先発で登板して5回を投げて4失点したものの勝利投手になっています。同期入団のルーキーでは初勝利一番乗りでしたが、その後、左脇を痛めて登録抹消。

7月のオールスターゲームでは2試合に登板して無失点に抑えており、シーズン終了時には6勝6敗防御率2.69とまずまずの成績をおさめています。

一方で被安打の高さや投球イニングの少なさを指摘されており、投球フォームの修正などを指導されているのもこの時期からだったのではないかと思われます。

2012年は開幕投手で9回1失点に抑える活躍ぶりでしたが、6月ごろから勝ち星から遠ざかるようになり成績不振に陥り7月には登録抹消になりました。

投球フォームが安定しなくなった時期でしたが、肩に違和感を感じていたものの投げ込みを続けていた結果、右肩の関節唇損傷と診断されています。

翌年以降は成績は全くふるわずでしたが2017年には札幌ドームでのDeNA戦に登板して勝利投手になることもありました。

2018年、2019年は2年連続未勝利で甲子園出場時、大学時代の勇姿は影を潜めていました。

参照元:https://ja.wikipedia.org/wiki/

斎藤佑樹が「引退しろ」と言われながらしなった理由は?ついに引退か!

斎藤佑樹の通算の成績は88試合に登板して15勝26敗、防御率4.34でした。この成績でありながら彼が解雇されなかったのは日本ハムと10年契約を結んでいたからです。

今季は栗山監督も日本ハムがBクラスなら辞任するとのことなので恩師の栗山監督の進退のことを考えると節目の年だったといえます。

甲子園のヒーローもプロでは通用しなかった見方もありますが、高校、大学とこれだけ活躍したということは投げすぎであったのも事実ではないかと思います。

首脳陣からフォーム修正を言われたりすることで悩んだかもしれませんが、長くプロの世界で活躍できるだけの肩を維持できなかったのでは?

結果が残らなかったのであればプロの世界に別れを告げるしかないでしょうが、プロで10年しかいられなかったのは寂しい限りです。

まとめ

斎藤佑樹が「引退しろ」と言われながらしなった理由は複数年契約が10年であったことに加え、栗山監督の進退も影響した模様です。

ついに引退かと言われればそうかもしれませんが、彼は若い時に相当な努力をして投手として極めた結果、プロでは投げれる肩でなかったのかもしれません。

若い時に肩を酷使したゆえに、プロでは肩がもたなかったと言う点では西武で活躍した松坂投手も同じようなものです。

結婚したばかりの斎藤佑樹が第二の人生に選ぶ職業に注目されますが、今後の活躍に期待したいですね。

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