NHK大河ドラマ「晴天を衝け」が始まっていますが、冒頭に主人公が登場するシーンは渋沢栄一と徳川慶喜の出会いの場面でした。
出会いというよりは渋沢栄一が徳川慶喜に強引に会うというような場面でしたが、ドラマのシーンは脚本だし、こんなことがあるのかと思った人もいるでしょう。
しかしながらまんざら作り話でもなさそうです。
今回は渋沢栄一と徳川慶喜の接点は?二人の出会いを道いたと言われています平岡円四郎について!事実を調査してみました。
渋沢栄一と徳川慶喜の接点は?
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NHK大河ドラマ「晴天を衝け」の冒頭シーンは渋沢栄一が徳川慶喜に直訴する形で出会う設定になっています。
幕末に将軍に直訴する形で本当にお目にかかることができたのかと思ってしまいますが、このシーンが本当かは疑問です。
しかしながらこの場面に繋がるような事実があったことは間違いなさそうです。
幕末は「黒船の出現」、「大地震の発生」など何かと事件の多い時期でもありました。渋沢栄一は日本の経済を大きく前進させた人物であったことは誰もがご存知のことかと思います。
当時、栄一は尊王攘夷の思想を持ち幕府を倒すため高崎城を奪う計画を立てていました。高崎城を奪って外国人居留地を焼き討ちし、長州藩と連携して討幕を果たすものでした。結果的に計画が中止されましたが、幕府から追われることになり逃れるために京都に移ったとされています。
京都では尊王攘夷の思想を成し遂げることができず、行き詰り感を感じていましたが、その栄一に手を差し伸べたのは幕府側の人物であった平岡円四郎でした。
平岡円四郎が導いたのか?事実を調査!
#青天を衝け 第4回リピ中
#徳川慶喜 の気品のある所作 #平岡円四郎 じゃなくても
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平岡円四郎は一橋家の重臣で開国派でした。
若い頃から聡明で徳川慶喜が将軍になった時には後見職になっています。
彼は安政の大獄(1858年)で大老・井伊直弼に一橋家の危険人物として左遷されたこともありましたが、将軍が代わり返り咲いた人物です。しかし最後には京都在住の水戸藩士に暗殺されています。
渋沢栄一は江戸で剣術や学問を学んでいる時に平岡円四郎と出会い、信頼されることになります。
江戸では尊王攘夷の思想を持っていたことから幕府側の円四郎の部下にはならなかったものの、京都に逃れた時には、同じく京都にいた平岡円四郎に呼ばれて一橋家への士官を薦められました。
彼は栄一の考えをよく理解してくれた人物でしたが、普通に士官を願いでるのは難しいので、意見書をご覧いただくことを考えたようです。
しかしながら全く知らない人物に将軍が会うなんてありえないでしょう。
そもそも警護の者に捕らえられて罰せられるのが落ちだったと思います。
では、どうやって栄一は慶喜に出会えたのかですが、ドラマにあるように慶喜が馬で出かけるタイミングを見計らったのです。
円四郎は一橋家の重臣であったことから、将軍のスケジュールも知っており、将軍が出掛ける予定を栄一に伝えていたのです。
馬で遠くに出掛けるタイミングだと警護も普通よりは手薄であることを知ることができたのはひとえに円四郎のおかげだったようです。
後に円四郎は亡くなりましたが、徳川慶喜の下、才能を開花させることができたのはひとえに円四郎の力だったのかもしれません。
まとめ
今回は渋沢栄一と徳川慶喜の接点は?二人の出会いを道いたと言われています平岡円四郎について!事実を調査してみました。
ドラマ冒頭のシーンのように渋沢栄一が徳川慶喜に直訴したことは本当のようです。
しかも慶喜の後見職の平岡円四郎がサポートしていたのも事実です。
栄一はとても才能があった人物でしたが、それに運も味方しており、もしこの人に出会えていなかったら世の中は変わっていたのではという場面がたくさんあります。
徳川慶喜に出会った後も次々に活躍する栄一の生涯ですが、今後も目が離せませんね。